衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年05月11日    月曜日     第2 回の開示 合計2334回の開示

識を智に転ずる真髄

最初に識を智に転ずることは初地の菩薩果位において行われ、門を登り室に入り、如来の家に入り、仏陀の真の仏子、すなわち仏陀の実子となります。言外の意として、初地の菩薩以前は仏陀の実子ではなく、四果の大阿羅漢や辟支仏も含まれます。その理由は彼らが識を智に転ずることができず、識性が智性に勝り、一切法を観る慧力が不足し、一切法有を一切法空より勝ると観じるためです。

仏法の修学において識を智に転ずることは非常に高い門戸であり、これには定力と慧力が関わります。両者が共に力を備えて初めて、この門戸を余裕をもって越える能力が生じます。定力は初禅以上の禅定力を具足し、慧力は観空の智慧力を具足しなければなりません。これには人我空と一分の法無我空が含まれます。その他、菩薩の自律性、心性、衆生への慈悲、願力なども必要です。戒律を保つことは自律であり、その後初めて他を律し導くことができ、衆生の模範と導き手となります。戒律を完成させ忍辱柔和であって初めて初禅定を具足し、この初禅定を以て我見を断つ基礎の上に次々と種々の煩悩を断除し、智慧の覆いが一部除去されます。もし煩悩習気も断除されれば、智慧の覆いは全て除去され、慧日が乾坤を明るく照らします。

これにより、修行の最終目的は六七識空の智慧を成就することにあり、意識はこれに依って次第に一切法空を証得し、意根も次第に一切法空を証得し、六七識の識性を智性に転じます。無明煩悩ある識心は識性であり、無明煩悩なき識心は智性です。煩悩を断除するには初禅以上の定力を具足し、更に人我見を断除して初めて識を智に転ずることができます。

——生如法師の開示
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