禅宗の祖師はかつてこう述べられた:思って得、慮って得るは鬼家の活計なり。鬼は陰に属し、光明ならず、暗闇で窺うが如き意味あり。正大光明なる得にあらず、ここでいう鬼は意識心を喩える。意識心の好むところは推理、推測、憶測、窺い、情思による解釈なり。心の光明より証するものではなく、内から外へ通徹するものにあらず。
故に禅師は説かれる:真の悟りは意識心の思惟によって得られるものではなく、分析的な思考によって得られるものでもない。意識の思惟活動では真の悟りを得られず、正大光明なる悟りにあらず。禅師は我々に教える:参禅は意識の上で心を用いるべからず、さらに深く入り、情思を断ち切り、憶測的解釈を断ち切り、禅定に入り、深く参究すべし。疑情を抱き、堅実に修行に励み、ついに正大光明に証得して初めて道に入る。これこそが大道に通ずる天梯、宝を摘む雲梯なり。
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