神通とは、意根が如来蔵に依って一切の法を了別することを意味します。しかし、意根が了別する法を、意識が知らない場合、それは神通がない状態です。もし意識が深い禅定の中にあって、識心が非常に集中し、了別する力が増強されれば、意根が知っている多くの法も了別できるようになります。意識がどれほどの法を知ることができるかは、禅定力の大小と智慧の境地の高低、すなわち三昧力の如何にかかっています。
なぜ神通は禅定と意根に関わるのでしょうか。色身は六識に対する影響力と支配力が非常に大きく、禅定が生じると、色身の六識に対する影響力と支配力は弱まります。すると意識は色身の支配から離れ、色身の制限を受けずに、意根が了別する多くの法、そしてあらゆる法を了別できるようになります。したがって、神通が現れる第一歩は、色身を降伏させ、色蘊の領域を通過して、識心が色身に支配されず、心がその形から離れることです。そうして初めて神通は現れます。色蘊とは、色身がもたらす一種の遮障作用です。五蘊とは、一種の遮障作用なのです。これを突破すれば遮障はなくなり、神通が現前します。吾に身有り、これ一大患なり!
色蘊は意根に対しても遮障作用を持ちます。意根が色身を実体と見なし、固く色身に執着するならば、禅定もなければ神通もありません。意根が束縛から離れて初めて、意識も束縛から離れ、神通が生じるのです。禅定力が非常に強く、意根の智慧も非常に強大である時、意根は完全に六識に取って代わることができます。
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