無始劫以来、因縁によって生じたのではない法は二つあります。一つは第八識如来蔵であり、本来から存在し、いかなる法によっても生じることはありません。もう一つは意根第七識であり、これも本来から第八識と共に存在し、後天的に生じた法ではなく、第八識が何らかの縁によって生み出したものではありません。しかし意根は依然として生滅法であり、実在しない法であり、存在を維持するためには第八識が絶えず識の種子を出力し続ける必要があり、第八識が絶えず執持し続ける必要があります。
なぜ意根は無始劫以前からずっと存在し続け、因縁によって生じたものではないのに、依然として生滅変異する法に属するのでしょうか。それは意根が無始劫以前から本来無明を有しており、特に一念の無明である貪瞋痴の煩悩が自らの虚妄を知らないためです。そのため我見と我執は自らを滅することができず、第八識と共に存在し続け、消滅することはありません。しかし一旦意根が一念の無明を断じ尽くせば、我執も断じ尽くされ、必然的に消滅します。残るのは第八識のみが単独で存在し、形も相もなく、喧騒もなく、寂静の涅槃となるのです。
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