衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月14日    水曜日     第2開示 合計1013開示

我見を断つにはどのように用功すべきか

我見を断つために、普段から五蘊の活動をよく観行し、六根が六塵の境界に触れるたびに五蘊を区別し、五蘊の作用をはっきり観察し、その苦・空・無常の性質を思惟し、無我性を確認するよう努める。定力を伴って観行し、ゆっくりと、徐々に、深く、細かく、焦らずに一点一点進める。このように努力を続ければ、必ず自心の障壁を突破する時が来る。必ず無明を打ち破る時が来る。必ず頑固な意根の知見を転換する時が来る。その時、修行は初歩的に成功する。時間があり環境条件が許す場合、身根の活動はできるだけ遅く、遅ければ遅いほど良く、ロボットのように遅くなるのが最善である。この中で、心は非常に静寂で繊細になり、身根の活動や識心の活動を観察すると、機械的に感じられ、自らの行為とは思えず、どこか非現実的に感じられ、自我の観念が薄れ、身見や我見を断ちやすくなる。さらに身根の活動中の識心を観察する。身識が何をしているか、意識が何をしているか、意根が何をしているか。補助的な眼識は何をしているか、耳識は何をしているか、鼻識は何をしているか、それぞれがどのように生起し、運行し、緊密に連携し、最後にはどのように移行し消滅するか。識心の来るところと去るところを観察し探求し、さらに様々な心念の起こるところと落ちるところを観察し、追跡を続け、必ず真相を見極める。その結果、一つには我見を断つことができ、二つには源流を発見し、明心見性することができる。

——生如法師の開示
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なぜ意根は無始劫以前から存在しているのでしょうか

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仏の摂受力は催眠に似ている

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