衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年06月30日    火曜日     第2 回の開示 合計2437回の開示

意根が夢の中と外の一切法を了別します

もし夢の中の境界と現実の境界が結びつくならば、夢の中と外の一切の法を意根が了別でき、かつ意根が先に現実世界の状況を了別し、その状況に特に注意を払うことで、現実の境界を夢境に変換し、意識をも参与させて了別させることを示しています。

人が眠りに就いて六識が滅しても、意根は依然として如来蔵に依って一切の法を了別し、外部の録音機で説法される声も聞き取ることができます。ただし、その分別と了別の智慧は十分に強くなく、説法に興味を持つため、意識に夢境の説法を了別させる夢を見させます。しかし意根は現実の境界を明確に了別できず、夢境と外界に関連はあるものの差異も存在し、多くの境界を意根が理解しきれていないことが分かります。

これにより、意根は覚醒時も睡眠時も六塵境界の一切の法を知覚しており、重要なのはその了知の緻密さと正確性の程度であることがわかります。無始劫以来、意根が極めて慣れ親しんできた事柄については、了別が迅速かつ正確に行われます。あまり慣れていない事柄については、了別が遅く不正確で誤りが多く、作り出される夢境と現実には一定の差異が生じます。

私が仏法に触れたばかりの頃、ある昼間に家で回向に関する映像を流していました。チベット地域で群れをなす牛に密教僧侶が回向を行う様子で、牛の数は非常に多く、前半の回向の場面は厳かであり、後半の屠殺場面は悲惨で血の海となり、牛たちは恐怖で悲痛な鳴き声をあげていました。映像は約30分から1時間流れていましたが、当時私はまだ完全に帰依していなかったため、映像を流しながら眠りに落ち、眠りながらも映像の音声を聞き続け、やがて映像内容と全く同じ夢を見ました。映像の進行に合わせて夢も展開し、途中で目覚めようと試みるも覚醒できず、映像の内容を認識しつつも、夢中では血生臭い場面や牛の悲鳴、中には人間に跪く牛さえも現れました。

この夢は完全に意根によって導き出されたものです。六識が機能しない睡眠中であっても、意根はこの事象に強い関心を持ち、夢を生成しました。外界の帯質境映像を独影境に変換し、意識にも了別させました。内外の境界を意根は同時に縁取ることができ、外界の映像内容も夢中の情景も認識しています。夢中では牛群への回向と屠殺の光景が生き生きと描写され、夢と現実の境界はほぼ同一でした。心中では場面が次々と移り変わることを認識しつつも、覚醒を試みるも叶いませんでした。

夢と現実の情景に関連性がない場合でも、夢境は意根が昼間に興味を持ち、気にかけ注視した内容であることを示しています。夜になると意根はその夢を生成します。昼に思惟することが夜の夢を形作り、意根が昼夜を通じて注視するため、夢が現れるのです。夢境からは修行の程度を判断できるため、ある種の夢には一定の意義が存在します。

——生如法師の開示
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