衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年07月01日    水曜日     第3開示 合計2440開示

雑阿含経(二六二)

原文:佛教摩诃迦旃延:世人颠倒依于二边,若有、若无,世人取诸境界,心便计着。

迦旃延!若不受、不取、不住、不计于我,此苦生时生、灭时灭。

迦旃延!于此不疑、不惑、不由于他而能自知,是名正见,如来所说。所以者何?

迦旃延!正观集灭,则不落有无二边。

如实正观世间集者,则不生世间无见。

如实正观世间灭,则不生世间有见。

迦旃延!如来离于二边,说于中道,所谓此有故彼有,此生故彼生,谓缘无明有行,乃至生、老、病、死、忧、悲、恼、苦、集;所谓此无故彼无,此灭故彼灭,谓无明灭则行灭,乃至生、老、病、死、忧、悲、恼、苦灭。

解釈:仏はおっしゃる。世間の人はみな顛倒しており、心は常に世間法の有あるいは世間法の無に依り、その後、世間法に境界を執取したり、あるいは世間法に境界無しと執取したりするので、そこで内心は有と計著したり、あるいは無と計著したりするのです。

もし世間の人が世間の有を受けず、世間の無をも受けず、世間の有を取らず、世間の無をも取らず、世間の有に住せず、世間の無にも住せず、世間の有を我と計せず、世間の無をも我と計しなければ、世間の苦は生ずる時に生じ、滅する時に滅して、我とは何の関わりもないものとなります。

これらの道理に対して、心に疑問を生ぜず、迷いがなく、他の何か別の道理によることなく自らその義を明らかにできるのが、正見と名づけられるものであり、これは如来の説かれた法です。

なぜこのように言うのでしょうか。もし世間の集起と世間の壊滅を正しく観行することができれば、あなたの知見はもはや有と無の二辺に落ちることはなくなります。世間の集起を如実に観照できる人は、世間は無であるという見解を生じません。世間の壊滅を如実に観照できる人は、世間は有であるという知見を生じないのです。

如来は有無の二辺を離れて、世間は不有不無、既に有り且つ無いという中道の法を説かれます。すなわち、この法が有れば彼法の有を引き生じ、この法が生ずれば彼法の生を引き起こすということであり、これはすなわち十二因縁法です。無明縁行、乃至は有縁生老病死憂悲苦悩、という世間の集起です。

中道の法とは、すなわちこの法が無くなれば彼法が無くなり、この法が滅すれば彼法が滅するということであり、すなわち無明の滅が行の滅を導き、乃至は有の滅が生老病死憂悲苦悩の滅を導くということなのです。

——生如法師の開示
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