仏道修行に精進する者が時に特別な香りを感じることがあります。これは体香、つまり心が清浄となり気脈が通じ体内から発する香りであり、また外来的な香り、すなわち天人や護法神が傍らに随従してもたらす天香でもあります。周囲の方々に仏法の初歩を説く際、天人たちが聴聞に訪れれば辺りは芳香に満たされます。これこそが天人たちの香気です。真言を常に誦する者には護法神が随伴し、彼らが天香をもたらすのです。
天界の香りは人間界には存在せず、求め得ぬものです。その芳香は極めて特異で、人の心境を明朗愉悦ならしめ、心を清浄寂静に導き煩悩を消滅させます。善根深き者には常に護法神が付き従い守護するため、修行の進歩は極めて迅速です。戒律を厳格に守る者に対し護法神は責任をもって導き、煩悩を軽減し習気を改め、善業を増やし悪業を造らせぬよう管護します。
ゆえに自らの力量に応じて福行と善行を積むほど、最も利益を受けるのは自己自身です。表面上は他者のためを装い他人に功徳を与えるように見えながら、実は己が最大の受益者となります。多くの人々が福徳を積む機会を提供されながら「必要ない」と拒む様は一見損失のように見えますが、実は自ら進んで福徳を積み他者や仏教に奉仕することを拒むため、眼前の利益さえ得られぬのです。これこそ自ら損失を招く行為ではございませんか。
自己中心的な心を改めなければ、如何なる大いなる利益も得られません。ただ己の損失を恐れるばかりでは真の利益を得ず、かえって現有のものさえ保持できず失う結果となります。心量が狭隘である限り、道業は進展いたしません。修行とは心を空無我に至らしめるもの。終日自我に執着しながら無我を修めんとする矛盾。自我を抱えたまま無我を成就せんとするのは如何なる時節を要するのでしょう。徐々に自我を放下することを学び、はじめて無我に至るべきです。
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