明心(みょうしん)の上品上生の人は、証果(しょうか)の中品上生の人は、極楽世界に到れば即座に仏に会い、十方世界を自由に往来でき、蓮華に包まれる必要すらなく、直ちに十方の諸仏に会って供養することができます。その他の品位の往生者は、皆、蓮華の宮殿に包まれて、ゆっくりと煩悩を降伏し、悪業の種を枯れさせなければなりません。阿弥陀仏は、このような煩悩があり、機会があれば悪業を造ってしまう衆生を最も得意に対治し、彼らを一人で蓮華の宮殿に住まわせ、悪業を造る機会を一切与えません。もちろん、善業を造ることもできません。ただ、以前からの業の種をゆっくりと枯れさせ萎縮させるしかなく、自分自身も業を造る考えがなくなり、心が清らかになり、善根が深くなります。この時になって初めて蓮華の宮殿を出て、阿弥陀仏または観世音菩薩、大勢至菩薩、あるいは仏菩薩の化身に面会し、直接法を聞いて、明心開悟することができるのです。
観無量寿経の中の下品往生の人がどのような扱いを受けるのかを見てみれば、智慧のある人は行くべきかどうかを考えるでしょう。たとえ地獄に落ちてから出てきて修行する方が、極楽世界で十二大劫もの間、独りで蓮華の宮殿に住むよりも何倍も速いのです。地獄は非常に苦しいですが、出てきてから再び修行して成仏する速度は、極楽世界にいるよりもはるかに速いのです。肝心なのは、各人が自分自身で何を追求するかということです。
下品下生は極楽世界の蓮華の中に十二大劫住みますが、これは娑婆世界の十二大劫ではありません。コンピューターで計算してみれば、一体どれほどの遠い劫の時間なのかが分かります。こんなに長い時間は確かに非常に楽しいですが、毎日餃子を食べていれば、飽きてしまうでしょう。慣れてしまえば、どうでもよくなるのです。
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