衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年07月14日    火曜日     第1開示 合計2465開示

万事万物即阿頼耶識如来蔵

阿頼耶識 (Ālayavijñāna) は万事万物を変化させさせるだけで、自らは変化しない。もし阿頼耶識もまた変化するものであるなら、それは生住異滅の法であり、きわめて大きな過失があることになる。すると問題が生じる。阿頼耶識はいつ生まれたのか、どのように生まれたのか。神様が生まれていないときには、一切の万物万法は存在せず、虚空さえもない。それはどのような状態なのか。衆生の業種はどこに存在するのか。意根はどこに存在するのか。もし阿頼耶識が滅しうるなら、神様はどのように滅するのか、何のために滅するのか。滅したのち、万法の種子はどうなるのか。衆生の果報はなお存在するのかどうか。

阿頼耶識はまた万事万物の中にもない。さもなければ、万事万物が滅亡したのち、阿頼耶識もまたそれに従って滅亡してしまうのではないか。万事万物を少しずつ分割していけば、阿頼耶識を見出すことができるのだろうか。まったくできない。

一切の万事万物の生長から滅亡に至るまで、すべて四大種子の生滅変異の過程であり、すべて阿頼耶識如来蔵 (tathāgatagarbha) が執持した結果である。一切法の中には、阿頼耶識の運行の足跡を見出すことができる。神様の足跡と痕跡とは、七大種子によって形成された心法と色法であり、いずれも阿頼耶識自身の中の原材料である。それゆえ、法を見れば阿頼耶識を見るべきであり、満目青山に別法なく、全体がすなわち一つの真実の法界、生滅のない阿頼耶識如来蔵である。一ミリたりとも、一微塵たりとも如来蔵の外に立つことを許されず、すべて如来蔵心中の法であり、すべて如来蔵の体・相・用でもある。衆生は如来蔵の中に生きているが、実際には衆生もなく、すべて如来蔵である。どの法が如来蔵でないというのか。どれが如来蔵の外に超脱して独存しうるというのか。いずれもできない。

——生如法師の開示
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