衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年07月24日    金曜日     第1 回の開示 合計2487回の開示

意識と意根業行の区別

もし意根による業の形成と意識による業の形成の違いを区別する必要があるならば、その業が意根の心行に合致するか、意識の心行に合致するかを観察しなければなりません。一般的に意識によって形成される業行はすべて意根に合致するものであり、それは意根が意識に業を造らせるからです。意識が造る業は即ち意根が造る業であり、意根が意識に業を造らせれば意識は業を造ることができ、意根が許可しなければ意識は業を造ることができません。これが一般的な状況です。

また別の状況として、意識の力が非常に強大で意根を転換させ、意根が意識の考えに従って業行を主宰するよう強制する場合があります。この時意根は意識の意志に従って選択をせざるを得ません。この場合、意根が主宰して造る業は意識の心行に合致し、意識が事柄の道理を条理立てて分析し、十分な理由を示すことで意根を転換させた状態です。

この時、意根の力は意識に及ばず、意根は意識の思考に従って決定を下します。表面的には意根が主宰しているように見えますが、実際には意識が主宰しており、身口意の行いが意識の心行に合致します。この業は意識を主体として造られた業です。もし意根が完全に意識に説得され制御され、意識が「これが良い」と判断すれば意根は完全に同意する場合、この時意根が六識に指揮させて造る業は、意根と意識が共同で造った業に属します。

もし意根の力が意識を上回り、意識の観点・意見・見解を意根がすべて同意しない場合、意根は必ず自らの心意に従って主宰的に選択を下します。表れる行為は意根自身の習気に合致し、六識に造らせる業行は意根自身の心行に合致します。この状況は意根が造った業に属します。

ここでの層次は複数に分かれており、我々が想像する表面的な行為ほど単純ではありません。具体的な状況に応じて分析と対応が必要です。業行が意識の心行に合致するか、意根の心行に合致するかを観察するには、以下の点から分析を始めなければなりません:意識と意根の心行が一致しているかどうか、心行が一致している場合には第六識と第七識が同様に善であるか、あるいは同様に不善であるかを見極めます。この時造作される業行は二者共通の心行に合致します。もし一致しない場合には、意根を主体とした業か、意識の心行を主体とした業かを判別し、具体的な状況に基づいて区別しなければなりません。

——生如法師の開示
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