外なる塵は外六塵と呼ばれ、外根を通じて内根に伝達され、内塵を形成します。この全過程は全て如来蔵の所為であり、外根と内根本身の働きではありません。外根と内根は四大によって構成されており、それ自体に作用はなく、もし識が内在して作用を生じなければ、外根と内根は石や木のような無情物と同様です。まさに識が外根・内根・四大色身において作用を及ぼすため、四大色身はあたかも機能を有するかの如く見え、この外根と内根は物質色法を伝達し得るかの如く、物質色法を受け入れる作用を有しているように思われます。しかし実際には、これらの作用は全て如来蔵の所為なのです。外根本身の作用は如来蔵の所為であり、内根本身の作用も如来蔵の所為であり、内根と外根の構造は如来蔵によって創造されたものです。外界の一切の物質色法である六塵も如来蔵によって創造されたものであり、如来蔵は外根を通じて外六塵を内根に伝達し、内六塵を形成します。これもまた如来蔵の造作によるものです。
内六塵は微細な四大によって構成され、これも如来蔵が生じ出したもので、四大種子によって生成されます。外塵と内塵は共に四大種子の堆積物です。ただし四大種子には区別があり、外塵は本質境であり、実体ある四大種子によって構成されています。内塵は本質境ではなく、外塵に基づいて幻化された影であり、より微細な四大種子によって構成され、構造が多少異なるため影と呼ばれます。鏡の例えのように、鏡の外側にある物は実体物であり外塵と呼ばれ、鏡の中の像は実体ある物質ではなく、故に影と呼ばれます。これも四大によって構成されていますが、やや理解し難い点があります。影と外界の形状は同じですが、本質は異なり区別があるのです。
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