衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年11月18日    日曜日     第1開示 合計1021開示

真の懺悔と偽りの懺悔

懺悔は、もし非常に誠実なものであれば、意根が悔い改めることを望むならば、業の種を変えることができ、あるいは業の種を消滅させ、あるいは業の種が現行しにくくさせ、あるいは果報を軽減させることができます。なぜなら、意根が悔い改めることができ、心の行いが変われば、新たな業の種が蓄積され、古い業の種と相殺されるからです。懺悔の程度が異なれば、相殺される程度も異なります。もし誠実な懺悔ではなく、形だけの表面的な意識による懺悔であれば、意根の心の行いが変わらないため、古い業の種も変わらず、果報も変わりません。

私たちが直接人に懺悔する場合も同じです。もし相手が私たちの懺悔が誠実であると感じれば、往々にして心が和らぎ、私たちを許し、過去のわだかまりを気にしなくなります。もし相手が私たちの懺悔が誠実でないと感じれば、私たちの心が変わっていないことを知り、許すことはなく、仕返しを考えるでしょう。特に、私たちが懺悔を装い、故意に彼を騙そうとしていると知れば、さらに怒りを増し、それによって報復が強まります。真の懺悔は意根による懺悔であり、偽りの懺悔は意識の表面だけの形式的なものです。当然、真の懺悔は有用で業を消すことができますが、偽りの懺悔は業を消すことができず、むしろ業を重くするかもしれません。

——生如法師の開示
前へ前へ

外六塵と内六塵はどのように形成されるのか

次へ 次へ

動物同士が互いに殺し合い、食い合うことには業報があるのでしょうか

ページトップへ戻る