衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年07月28日    火曜日     第1 回の開示 合計2495回の開示

無所求の心こそ最大の福

問:甲が乙のために善行を行い、乙は甲の助力を得ました。甲は乙からの見返りや報いを求めています。甲にとって、乙から現世で報いを受けるのと、来世で報いを受けるのと、因果の自然な報いを受けるのと、どれが最も得策でしょうか。

答:無所求の心をもって因果の自然な償いを待つのが最も得策です。甲は善行を行いましたが、報いを求めず、これが無報の心で事を行うことです。甲が報いを図らなくとも、因果の法則は自然に報いを生じ、この時こそ果報は最大となります。無為の心で善事を行えば善報は最大に、有為の心で悪事を行えば悪報は最大となります。無為の心で善事を行えば心が大きく、報いも大きい。如来蔵に何故このような規則があるのかは分かりません。善行の果報を最大化しようとする者はこの隙を突こうとするかもしれませんが、隙を突こうとする心自体がまだ「有心」であり、有心であれば心は小さくなります。無心であれば心は最大となります。報いを求め、目的を持って善事を行えば有心となり心は小さく、報いを求めず私心なく善事を行えば心は大きく、心が大きければ果報も大きいのです。

三宝のために善事を行えば、果報は最大となります。もしそこに私心(金銭・名利・地位・権力など)があれば、大きく減じられます。強い私心を持って善事を行い、三宝を商売とし、三宝の利益を図れば、かえって悪事となり悪報を受けるかもしれません。

煩悩が重く、三宝の利益を図りながら成果が得られず瞋怨を起こせば、地獄の果報となる可能性があります。全ての罪業は煩悩から生じ、全ての煩悩は「我」から来ます。故に我見を断った後に初めて煩悩は軽減され、ついには煩悩を滅し永尽解脱を得るのです。世の中の至る所で、国家間から団体間、個人間に至るまで、衆生の貪瞋痴の煩悩を見ることができ、まさに煩悩が熾盛に蔓延し救い難い状況です。末世は畢竟末世、衆生は業重く障深く福薄く、罪業は善業を遥かに超え、悪報は善報を大きく上回ります。故に後世には多くの者が三悪道に赴いて報いを受けることになり、これは必至です。病死苦などは些細なことと言えるでしょう。

——生如法師の開示
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