八つの識が法に対する見解は、すべて五つの遍行心所法である作意・触・受・想・思によって実現されます。第八識自体も識の種子を有し、この種子が絶え間なく運行することによって第八識が形成されます。第八識は様々な法の運行において作意・触・受・想・思という五つの遍行心所法を働かせ、法を了別し処理します。その機能は第七識の受・想・思とは一定の差異があります。五遍行心所法の運行にはいかなる煩悩や無明も伴わず、無心の運行状態に属し、任運而行、法に随って行くとも称されます。この中で受は境界に入り込まず、想も複雑な思想活動を伴わず、思は択び造作し、法に対する維持と管理を担います。
第七識もまた各自の識の種子を有し、その見解も五遍行心所法に依拠して運行されます。五遍行心所法の運行過程においては、若干の煩悩や無明が混入する可能性があり、善悪の心所法も併せて現れます。五遍行心所法の運行後には見聞覚知の機能作用が生じますが、第七識に煩悩心所法が現起するため、その見聞覚知には一定の遮障作用が生じ、第七識の法に対する認識を不真実・不正確ならしめ、多くの誤解を招きます。このような誤解によって悪業を造作し、因縁果報を形成することとなるのです。
1
+1