衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年08月11日    火曜日     第4 回の開示 合計2529回の開示

意根が黙して一切法を容れる意味

黙とは、黙々と、音もなく、密かに、ひそやかにという意味であります。これが意根の特性であり、意根はこのように黙々として人に知られることなく、音もなく、静かに、密やかに存在するのでございます。

容とは、容認、共存、共に、包容、寛容を意味します。これは意根が一切を包容し、一切の法の存在を容認し、一切の法と共存し、共に運び行き、一切の法の現行を寛容に受け入れることを示しております。

この意味はまた、一切の法が存在する所には必ず意根が存在し、意根は永遠に一切の法と共に運び行くことを説いております。しかし意識は一切の法を黙って包容せず、一切と共に存在し運び行くことはできません。故に多くの法の生起と運行は意識に関係なく、意識の指揮や制御を受けず、意識には一切の法を生じさせる権限がございません。ただ第八識と意根のみが永遠に一切の法と共にあり、共に運行いたします。しかし第八識には指揮や操作を行う心の働きや特性がなく、主導性を有しません。従って、一切に対する操作権限と主導権限を有するのは意根のみであることが証明され、我執我見が強い故に生死の業も重いのでございます。

——生如法師の開示
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