五根は五識が現れる一つの縁に過ぎず、五根は五識の生起・運営・作用を決定するものではありません。なぜなら五根は純粋な色法であり、識心の心所法を備えていないため、主体性や決定性などを有しないからです。
一方、意根は意識を生じさせる根と縁であるだけでなく、識心そのものであり、識心の属性と心所法を具えています。さらに意根は六識と同等の識心ではなく、極めて特殊な属性を有しています。この特殊性は主に「恒常に審慮思量する性質」に現れており、つまり意根は常に、絶えず、頻繁に一切の法を審慮し、一切の法を思量しています。なぜ一切の法を審慮思量するのでしょうか。それは意根が一切の法を管理する権限と責任と義務を有しているからです。
意識はこれができません。意識は各法が現出した後に初めて生起するため、法の管理について論じる余地がありません。後続の法に対して助言を提供し、意根に献策することしかできず、しかも一部の法に限られます。意識は全ての法に対応できず、その権限も能力もないからです。ゆえに意識の格局は意根の格局に遠く及ばず、これは眼界の問題と見識の不足によるものです。
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