「昧」とは、昧略晦暗の意であります。「不昧」とは心が清明であり、因果に対し迷わないことを指します。菩薩摩訶薩たちは因果を極めて明らかにされております。唯識種智を有するが故に、一切の業行が造作されるやいなや、その種子が如来蔵に収蔵され、縁熟すれば必ず果報が現れることを明鏡のごとく照らし知っておられるのです。唯識種智を備えていない菩薩や凡夫の菩薩はこの理を十分に弁えておらず、時に僥倖の心を抱きつつ悪業を造作することもございます。菩薩たちは無明が未だ尽きておらぬ故に、身口意の行いが因果の中にあり、因果の法則から離れることができないのであります。
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