煩悩を伏せることと煩悩を断ずることは、二つの概念であり、修行における二つの段階であって、その間には大きな、あるいは非常に大きな隔たりがある。外道の禅定を修める者たちは、禅定の境地が非常に高く、一見するとみな淫欲を断じたかのように見え、多くは色を見ても心を動かさない。しかし命終した後には依然として生死輪廻し、別の身体に生まれ変わった後には、再び淫欲の心が生じ、そして再び淫欲の心によって胎を受けて生を受けるのである。聖果を証得しない限り、いわゆる淫欲の心を断ずるということは、決して断じたのではなく、伏せているに過ぎず、一時的に現れないだけである。禅定が消え失せると、淫欲の心は直ちに現れる。
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