問:唯識の理論において、意識は五識の倶有依であるため、意識は必ず五識に先立って生起するか、あるいは五識と同時に生起するものであり、五識の後に生起することはないのでしょうか。
答:禅定における真実の体験とは、眼識・耳識が一刹那先に色声を弁別し、直後に意識がその色声の細法を発見するという事実です。意識の弁別に一刹那余分に時間を要し、法塵をより明確に弁別してその内容を識別するため、五識よりも一刹那長くかかる場合があります。しかしこの時間差は極めて短く無視し得ます。禅定を得ていない大多数の者は、永久にこの事実を発見できません。世俗法であれ仏法であれ、事実は常に理論に優越します。仏法を学ぶ目的は一切法の事実真相を証得するためであり、検証不能な理論を杓子定規に学んで智慧が生起せず、解脱を得られない状態に留まるためではありません。
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