衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年08月22日    土曜日     第3 回の開示 合計2562回の開示

意識と三業は意根に相応して転じます

問:意根が未転位の時は恒に有漏法と相応するものであり、また意根は恒行識であるため、第八識は意根に引きずられて永遠に有漏種のみと相応し、意識が一たび現行すれば、直ちに有漏種と相応します。したがって、意根が無漏に転じない限り、意識が無漏に転ずることは不可能ではないでしょうか。

答:これはまさに意根が主導的な識であることを証明しています。六識は意根に依って現行し、意根は一切の煩悩を蔵しており、一部の煩悩ではありません。意根が煩悩を断たなければ、意識も煩悩を断つことができず、意根が無明を破らなければ、意識も無明を破ることはできず、ただ降伏させ抑え込むことしかできません。ゆえに意識のみを修めても究竟には至らず、再び毀損し、特に来世において意根に従って転ずることになります。

意根は有漏法と相応しますが、同時に善心所法も具え、六識を操って善業を造り、善業の種子も貯蔵します。第八識もまた善業の種子を含んでおり、ただ悪業や有漏業の種子だけではありません。意識と五識が現行した後も、意根に依って善業を造作し、善業の種子と相応します。単に悪業の種子や有漏の種子と相応するだけではないのです。意根と意識は三種の業と相応し、時に善、時に悪、時に不善不悪となります。

——生如法師の開示
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