全ての人は自らの思考をよく訓練し、正しい方向から大きく逸脱してはなりません。思考が明晰でないのは必ず禅定が不足しているからです。その場合は精進して禅定を修めるべきです。もし禅定が修まらないなら、自らに福徳が欠けているか、戒律が十分でないか、習性が重すぎるか、あるいは身体に障りがあるかを点検しなさい。
多くの人は禅定が不足し、定力が足りないため、思考がついていけず、多くの法を勝解できず理解できなくなります。修行は次第に落伍し、他人の後塵を拝することになります。各自が努力して自らの問題点を見つけ、不足と欠点を探し出さねばなりません。発見した後は改善策を講じるべきです。自らを振り返り、欠落を補うこと自体が精進なのです。
定力が少しでも不足すれば観行は十分に至らず、語ることに根拠がなくなり、必ずしも真実とは言えなくなります。故に自らの観行力が十分でない限り、自説を断定的に表明すべきではありません。
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