医者が患者の病気を治す時、まず医者自身の内相分が変化するのか、それとも医者自身の外相分が先に変化するのか。内相分はどのように出現するのか。この問題を解決しなければ、将来悟りを開くことはできない。内相分と外相分のどちらが先かという問題は非常に重要であり、これを乗り越えられない限り、すべては如来蔵が一切の法を変現する問題、如来蔵がどのように変現し、何に基づいて変現するかという問題に関わってくる。この問題を理解すれば、悟りは容易になる。
患者は医者の外相分である。患者を治療するとは、当然ながら患者の色身を変化させ、色身を回復させることである。患者の色身は医者にとって外相分であり、治療とは医者自身の八つの識が共同して患者の色身を変化させること、つまり医者の外相分を変化させることである。医者の如来蔵は自らの六根を通じて外相分を医者の勝義根に伝導し、内相分となり、外相分と一致する。医者が認識する内相分としての患者の色身も同時に回復する。
治療には前六識の参与も必要であり、八つの識がすべて関与する。観想による治療の場合も意識の参与が必要で、六・七・八の三つの識が共同して作用し、患者の色身を変化させる。これもまた医者の外相分である患者を変化させることであり、医者の内相分である患者の身体も同時に変化する。八つの識が究竟的にどのように患者の色身を変化させるか、外相分である色身にどのように作用するかは、参禅者が参究すべきことであり、参究を突破すればわかるようになる。
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