依止とは依り所とする意味であります。あたかも大樹の下に寄りかかるが如く、大樹の堅固なるを知り、風雨を防ぎ、陽射しの暑さを避け、身を休めることができ、かつ大樹の在り処を知るが故に、大樹に向かい歩み至り、その木によりかかって坐し臥すのであります。また山々に依って生きるが如く、山の中に種々の山の幸や野趣ある食物があり、家屋を建てる木材があり、炊事に用いる薪があることを知り、また山の地形や地勢、標高等の情報を知るが故に、山を目指して赴き、家業を営むのであります。
あらゆる事柄の運営は意根が主宰し、意根は総指揮と調整役であります。もちろん真如に依止するこの法も例外ではありません。されば真如に依止するに先立ち、意根は真如の性相を了知し、真如の在り処を知り、その後初めて真如の性に依りて自らの身心を調え、心の働きを真如に向け、さまざまな煩悩を取り除き、次第に清浄無為へと転じて参るのであります。かくして意根は真如の自性を証得せねば、依止・帰依・趣向について語るに足りず、もし真如を証得せずんば真如に向かうこと叶わず、恰も盲人が太陽を見ることができないようなものであります。故に意識が果を証し意識が心を明らかにするも、依然として盲人と異ならず、無為に向かうことも叶わず、心を空ずることもできぬのであります。
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