楞伽経原文:その時、大慧菩薩摩訶薩は、再び仏に白して言う。世尊よ、願わくは説きたまえ。一異・倶不倶を離れ、有無・非有非無、常無常を超えた、一切外道の行わざる所、自覚聖智の行う所、妄想自相・共相を離れ、第一真実の義に入り、諸地相続漸次に、上々増進清浄の相を具え、如来地相に随入し、無開発本願を成就することを。譬えば衆色摩尼の境界の如く、無辺の相行を現じ、自心現趣部分の相たる一切諸法において、我及び余の菩薩摩訶薩は、此の如き妄想自性・自共相見を離れ、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
釈:大慧菩薩は世尊に第一義諦の説法を請う。菩薩方が第一義諦を明らかにした後、地々に転進し如来地に入り、究竟の仏世尊となることを。この第一義諦は一と異を離れ、倶と不倶を離れ、有と無及び非有非無を離れ、常と無常を超える。この第一義諦の智慧境は、一切外道の知り得ざる所、証し得ざる所にして、唯だ覚りを開いた登地の聖人方のみが証得し得る。聖人方は七識妄心の有する自相・共相を離れ、真実の甚深理たる第一義諦に入る。然る後初地より次第に地々転増し、心性愈々清浄となり、無明断尽して七識心徹底清浄の時、如来地に入り究竟の仏となる。
この第一義諦は恰も摩尼宝珠の如く、無量無辺の光彩を現じ、無量無辺の有為法相を顕現す。自心に現ずる一部分の現象界の相、及び一切諸法の相について、大慧菩薩は「我及び余の菩薩摩訶薩は、此等の七識心の妄想により第一義諦より現じた虚妄相を離れ、其の自相・共相を捨てて唯だ第一義諦相を見、斯くて速やかに阿耨多羅三藐三菩提を証得せん」と述べる。妄想自相・共相は、第一義諦より生ずる色法と心法の部分を含む。
ここに一異とは第一義諦と諸法の関係を指し、一ならず異ならざるもの、即ち共通性と差異性を併せ持つ。倶不倶とは第一義諦と諸法の関係を指し、倶ならず不倶ならざるもの、即ち一体性と分離性を超越す。有無非有非無は第一義諦の存在性を指し、其の体性は有なりながら世俗相は無、即ち有無両辺を超越す。常無常は第一義諦の恒常性を指し、七大種子は常住不滅なるも、其の蔵する七識の業種は生滅変易し、修行段階に応じて蔵識業種の変化に従い名称も転換す。
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