意識の縁とする法には、独影境の法塵と五塵と同時に現れる法塵が含まれます。独頭意識の回想・妄想・幻想などが縁とするものは全て独影境であり、独影境は虚妄の影であると観察判断しやすいものです。しかし目が色を見る時、意識が法塵を観察する場合は、それが影であると認識するのが容易ではありません。
意識は全てが虚妄で不実であるかのように見えますが、なぜ境界に遭遇すると依然として境界に従い、境界に転じられるのでしょうか。それは意識が観行を始めた当初、観行の深さと広さが不十分で、範囲が比較的狭く、各法を連貫させることができず、効果的に意根を薫染し牽引することができないためです。意識の観行はまだ意根の認可を得ておらず、意根の心深くまで浸透しておらず、意根の理念が変化していないため、境界に遭遇して決断を下す際、意根は依然として境界を真実と見做し、意識に境界を真実として扱わせるのです。
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