(三)原文:諸比丘よ、汝らはどう思うか。譬えば膏油と燈心を縁として、燈明は燃え続ける。油と燈心を継ぎ足せば、その燈明は久しく留まるであろうか。比丘ら答えていう、その通りです、世尊よ。かくの如く諸比丘よ、色に執着し味わい耽り、顧み念い愛に縛られる。愛縁を増長すれば取が生じ、取縁によって有が生じ、有縁によって生が生じ、生縁によって老死憂悲悩苦が生ず。かくの如く純粋なる大苦が聚集するのである。
釈:仏は説かれた。諸比丘よ、汝らはどう考えるか。譬えば膏油と燈心の縁によって、燈火は燃えて光明を放つ。もし度々油と燈心を補えば、その燈火は長く留まるか。比丘たちは答えて言う、そうです、世尊よ。比丘たちよ、この理の如く、もし汝らが色に執着し、その中に沈溺して抜け出せず、常に色を顧み念うならば、貪愛に縛られる。色への貪愛が増長する故に執取が生じ、色への執取によって後世の業種が残され、未来の三界における有が絶えず現れ、三界の有がある故に衆生の生命が生じ、生命あれば老病死憂悲苦悩がある。かくして世の大苦が聚集するのである。
原文:我この時またこう考えた。何の法が無ければ老病死が無いのか。何の法が滅すれば老病死が滅するのか。即ち正思惟を起こし、如実の無間等智を得た。生が無ければ老病死無く、生が滅すれば老病死も滅す。さらにこう考えた。何の法が無ければ生が無いのか。何の法が滅すれば生が滅するのか。即ち正思惟を起こし、如実の無間等智を得た。有が無ければ生は無く、有が滅すれば生も滅す。
釈:仏は説かれた。我この時また疑念を生じた。何の法が無ければ老病死が無くなるのか。何の法が滅すれば老病死が滅するのか。この疑念が生じた後、直ちに正思惟に入り、正思惟によって如実の断絶なき智慧が生じた。生が無ければ老病死が無く、生が滅すれば老病死も滅すると知った。更に疑念を生じた。何の法が無ければ生が無くなるのか。何の法が滅すれば生が滅するのか。直ちに正思惟に入り、正思惟によって如実の断絶なき智慧が生じた。三界の有が無ければ生は無く、有が滅すれば生も滅すると知った。
これは十二因縁の逆観であり、生死の流れに逆らうものという。前者は順観、生死の流転に随順するものである。表面上は推論の如く見えるが、実は深甚なる思惟であり、浅薄な推論作用ではない。深い禅定を修める者、疑念深き者は、意識的な浅薄な推論を行うことなく、意根の禅定中の深い参究によるのである。順観によって生老病死の流転を明らかにし、逆観によって生老病死を滅し解脱を得る道を知る。生老病死の根源を見出し、その根源を断てば、生老病死は断たれるのである。
0
+1