(四)原文:我また是の如く思惟す。何の法無きを以て行無し。何の法滅するを以て行滅す。即ち正思惟す。実の如く無間等なり。無明無きを以て行無し。無明滅するを以て行滅す。行滅するを以て識滅す。識滅するを以て名色滅す。名色滅するを以て六入処滅す。六入処滅するを以て触滅す。触滅するを以て受滅す。受滅するを以て愛滅す。愛滅するを以て取滅す。取滅するを以て有滅す。有滅するを以て生滅す。生滅するを以て老病死憂悲悩苦滅す。是の如く是の如く純大苦聚滅す。
釈:仏は説きたまう、我またこのような思惟をなす。いかなる法が無ければ行が無くなるか。いかなる法が滅すれば行が滅するか。すなわち正思惟に入り、後に実の如き無間断の智慧を生じ、意根の無明が無ければ行が無くなり、意根の無明が滅すれば行が滅することを証得す。行が滅すれば六識の業行が滅す。六識の業行が滅すれば来世の名色が滅す。名色が滅すれば六入処が滅す。六入処が滅すれば触が滅す。触が滅すれば受が滅す。受が滅すれば愛が滅す。愛が滅すれば取が滅す。取が滅すれば有が滅す。有が滅すれば生が滅す。生が滅すれば老病死憂悲苦悩が滅し、かくの如き大苦の聚集が滅す。
十二因縁の生死循環は究極的に意根の無明による。意根は始めの仕掛人なり。故に生死輪廻を離れ解脱せんと欲すれば、必ず意根の無明を破り断尽し、意根が再び三界世間に於いて妄想行せざる様にせねばならず。意根の心行が滅すれば、意根が一切法は空にして無我なりと証得する故、何の理由も動力も以て如何なる法にも執取すること無し。取着無きは即ち苦無く、解脱自在なり。
意根が五陰世間に於いて心行無く、意欲無く、攀縁無く、執取無ければ、再び六識を指使して更なる身口意の業行を造作せしめず。七識心は悉く清浄無為寂静となり、三界の業は尽き、業種無く、来世に再び五陰世間有ること無く、名色も無し。かくて暫時寂滅す。無量劫を経て後、大乗の法縁熟すれば、再び寂滅涅槃より出生し、菩薩道を踐行し、自ら度し他を度し、仏道を完成し、真実の寂滅の処――無住処涅槃に入る。再び灰身泯智する要無し。
意根の無明破除は我見を断じて須陀洹果を証するより始まり、辟支仏果を証するに至り、三界の生死無明種子を断尽す。なお無始無明と塵沙無明は未来成仏の道の修証に於いて漸次破除し、悉く断尽すれば大覚世尊となる。ただ三界無明を断尽するは覚りの一小分に過ぎず、未だ大覚ならず、究竟覚に非ず。仏道を学ぶに当たり発心は重要なり。発心大なる程、覚悟は大きく徹底し、成仏速やかなり。
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