衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月30日    水曜日     第3 回の開示 合計2664回の開示

雑阿含経(二八七)の五

(五)原文:我この時、かくの如き念いをなせり。我は古仙人の道を得たり。古仙人の径、古仙人の道跡。古仙人この跡より去りしに、我いま随いて去らん。譬えば、人ありて曠野に遊び、荒れ草を分けて道を求め、忽ち故道に遇うが如し。古人の行きし処、彼すなわち随いて行く。漸く進みて、故き城邑を見、古き王の宮殿、園観・浴池、林樹清浄なるを見る。彼かくの如き念いをなせり。我いままさに往きて王に白し、知らしむべし。すなわち往きて王に白せり。大王まさに知るべし。我曠野に遊び、荒れ草を分けて道を求め、忽ち故道を見る。古人の行きし処、我すなわち随いて行く。我すなわち行きて、故き城邑、故き王の宮殿、園観・浴池、林流清浄なるを見る。大王まさに往くべし。止まって其中に居らん。王すなわち彼に往き、止まって其中に住す。豊楽安穏、人民熾盛なり。

釈:仏は説きたまわく、我十二因縁を前後しつつ思惟し通達した後に、かくの如き念いを起こせり。今我は古聖の歩みし道を歩み、古き聖人の径路を行く。古聖人らこの道より去りしに、我いま随いて行かん。譬えば人ありて深山曠野に遊歴し、荒草を分けて道を求め、忽然として旧路を見出すが如し。古人の歩みし処に、この人すなわち随いて歩む。漸く進みて、古き都城の古代の王宮を見る。大観園と浴池あり、山林灌木ことごとく清浄なり。

この人は念えり。我いままさに宮殿に往きて大王に申し上げ、知らしむべし。すなわち大王に拝謁し告げん。大王よ、知るべし。我曠野に遊歴し、荒草を分けて通路を求め、忽然として古き旧路を見る。古人の歩みし道筋なり。我すなわちこの道に随いて前進す。歩み行くうちに古き都城を見る。古き王宮あり、その中に大観園と泉流の浴池あり、林樹清浄なり。大王よ、まさに彼処に往きて居住すべし。ここにおいて大王は王宮に住し、国を治めしよりこのかた、国は豊饒にして人民安穏快楽を得たり。

仏のこの説話は、十二因縁を探究するこの過程が、過去の古聖の用いし方式と同一なることを譬う。歩みしは同じく道なり、探究の結果は相同じく、得たる結論は一致す。古聖先賢らは真理を証得し、仏陀今また同じく真理を証得し、ともに解脱を得、生死の大患を離れ、安穏なる涅槃の城に至り、安穏快楽を享受せり。古仙人の道とは八正道を指し、故き城邑古王の宮殿は涅槃の境地を表す。我は古仙人の道に随いて、無明の尽きる処に至り、無明を滅せば、すなわち生老病死憂悲苦悩を滅せり。曠野に遊び荒れ草を分けて道を求むるは、十二因縁の道の修することが甚だ艱難なるを示す。忍辱不抜の毅力を要し、絶えざる模索と探究を以て、生死の源と奥秘を究明し、生死の源流を断截して涅槃解脱を得る所以なり。

——生如法師の開示
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