(一)原文:如是我闻。一时。佛住舍卫国。祇树给孤独园。尔时世尊。告诸比丘。若于结所系法。随生味着。顾念心缚。则爱生。爱缘取。取缘有。有缘生。生缘老病死忧悲恼苦。如是如是纯大苦聚集。
解釈:世尊が舎衛国の祇樹給孤独園での法会において因縁法を説かれたとき、多くの比丘たちに告げてこう言われました。もし汝らが自分の心の中の煩悩の結縛が繋着している法(六塵の境界など)に対して、繋縛されている法に随って喜愛心・貪着心を生じ、心が絶えずそれらの煩悩の繋縛されている法を念じ思い続けるならば、心はこの法にしっかりと縛りつけられ、脱することができなくなります。
心が味着を生じ、絶えず思い続けることで、貪愛が生じます。煩悩の結縛が繋着している法に対して貪愛があると、心は取着を生じ、執取して捨てなくなります。執取して捨離しようとしないがゆえに、心は必然的にこの法を離れず、後世の業種が蓄えられ、こうして必ず後世の五陰世間が存在することになります。後世の業種が成熟すると、五陰の身は再び生まれ、この法と乖離することがありません。生があるがゆえに、生老病死・憂悲苦悩(śoka-parideva-duḥkha-daurmanasyopāyāsa)が五陰の身に伴い、こうして無量の生死の大苦が再び集まってくるのです。
結とは、結縛・煩悩・繋縛であり、心を禁閉する枷鎖です。結には九種あります。愛結・瞋結・痴結・嫉結・我見結・取結・疑結・吝結・慢結です。これらの結は自分をどこに繋縛するのでしょうか。三界六道の輪廻の中に繋縛するのです。では結所繋法とは何でしょうか。六塵の境界、人事物理、すなわち三界の世間法です。随生味着とはどういう意味でしょうか。凡間の世俗法に滋味・趣味があると考え、自分の貪心などの煩悩を満足させることができると思い、そこで心がそれを憧れ、その後に顧念が生じるということです。顧念とはどういう意味でしょうか。心が絶えずそれを想い、惦念し、盼望して、得ようと望むことで、そうすると絶えず執取し続けることになるのです。
心縛とは何でしょうか。心がこれらの法によって纏縛され、繋縛されることです。繋縛された後、心は貪愛などの煩悩を生じます。貪愛が生じた後にはどのような現れがあるでしょうか。執取・抓取、保愛、貪執して捨てないことです。誰が誰を抓取し誰を繋縛するのでしょうか。表向きは自分の心が六塵の法を執取し抓取しているのですが、実際には心が六塵の法によって抓取され繋縛されているのです。したがって、心縛の最も深刻な結果は執取であり、業種を蓄え、後世の三界有の法を生じさせることなのです。
もし比丘あるいはいかなる修行者であっても、自分の心を繋縛する生死の結縛に対して、その結縛に随って貪愛心を生じ、これらの結が繋縛している法は滋味に富み、とても享受でき、とても心地よいものだと考え、しかも心が絶えずこれらの法を想い続けるならば、心はこれらの結縛に繋縛されることになり、そうなると貪愛が生じてきます。貪愛が生じた後には、内に取着の心が生じ、そしてこれらの結縛を執取します。衆生の心に取着するところがあれば、後世に生まれる条件、あるいは因縁、あるいは種子が形成されます。後世に生まれる種子が形成された後、因縁が成熟したときあるいは種子が成熟したとき、生命体が生まれます。生命体が生まれた後には、老病死・憂悲苦悩が生命体に伴って現れます。後世の生命体が生まれる因縁条件とは何でしょうか。三界の器世間、すなわち欲界・色界・無色界です。
貪愛が生じた後には執取し占有し、執取した後には三界有が生じ、後世の生存条件が備わり、三界の法が生じます。三界の法があれば、生命はその中に生じ出てきます。生命が生まれた後には、老病死・憂悲苦悩が伴い、純大苦聚が生じ出てくるのです。もし貪愛などの煩悩を滅除すれば、心の結は解け、繋縛がなくなり、もはや三界の五欲六塵に束縛されることがなく、こうして心は解脱するのです。
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