あることを知り、ある教えを学んだ後、しばらく消化する時間が必要なのはなぜか。意識が知っていることは、ゆっくりと意根に浸透させ、意根にも理解させ、考え考えさせ、理解理解させ、納得納得させる必要がある。意根がまだ理解していなければ、真の理解ではなく、事柄は消化吸収されていないのである。
あらゆる事柄や教えが真に理解され消化吸収されるためには、意根が考察し理解するための時間が必要であり、これをクッション(緩衝)と呼ぶ。禅定力が優れていればいるほど集中力が高まり、意根は理解しやすくなり、消化吸収も速くなる。したがって、世の中のあらゆる出来事が突然急激に起こると、意根は心の準備ができておらず、これらの事柄を素早く消化できないため、内心は衝撃を感じる。多く接するうちに時間が経つと、意根は心の準備が整い、泰然自若として受け入れるようになり、もはや驚かされることはなくなる。
突然の事故により魂が飛び散るほど驚き、深い恐怖が意根まで届くと、意識だけでなく意根までもが震撼する。意根が震撼すると、それは一切の対応策を失い、為すべきことがわからなくなる。軽い場合は呆然自失し、重い場合は精神異常をきたし、最も深刻な反応は魂が飛び散るほどの驚きであり、驚き死に至ることさえある。死後も正常な転生は困難である。
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