衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月26日    月曜日     第4開示 合計1040開示

禅宗の祖師方が最も忌み嫌う学人の意下卜度

多くの現代の仏教学習者は研究を好み、特に文人や学者たちはそうですが、実のところ研究は意識心の働く範囲であり、情思意解(感情や思慮による理解)に似ています。

実際、仏法の修証は決して研究ではなく、情思意解や意下卜度(憶測)でもありません。かつて禅宗の祖師たちも意下卜度を最も忌み嫌いました。しかし今では公然と意下卜度が行われ、大々的に憶測や情思意解がなされ、真実の修行を誠実に行わず、仏教が徐々に変質していくのを目の当たりにしていますが、どうしようもありません。世俗の生活リズムが速くなり、ファストフードが流行し、人々の体調を害しています。仏教も潮流に順応してファストフード化し、結果として思想が不健康になり、病的な状態を呈しているのに自覚がなく、むしろ病的なものを美しいと見せかけています。

仏教のファストフード化は大衆の浮ついた心から生じ、その結果さらに浮つき、口先だけで実践の伴わない者が大勢います。ですから仏教は研究の宗教ではなく、実証と着実な一歩一歩の修行が必要であり、そのためには身心を捨て去り、心の奥底から徹底的に目覚め、身心を頭から尾まで内から外へと全面的に転換させなければなりません。そうして初めて真に識を智に転じ、全く新しい自我が現れ、仏のような五蘊の世間が現れるのです。

修行の道は長く、時には急いではならず、重要なのは仏法の基礎を固めることです。速成を求めたり、砂の上に高層ビルを建てたりしてはいけません。基礎がなければ、どんなに高いビルもいずれ崩れ落ちます。私たちは着実に法を学び、速やかな明心見性を求めてはいけません。さもないと結果は深刻で、仏教にも個人にも不利です。因縁が熟さず、福徳が不足している時には、禅を参じることを急いだり、明心を急いだりしないでください。基礎が固まらなければ空中楼閣を建てるようなもので、いつか崩壊する恐れがあります。速成の悟りの弊害は徐々に現れ、道業の進みは遅く、慢心も生じやすく、それは道を妨げる最たるもので、悪業を造り将来悪報を受けるかもしれません。

皆さんは因縁が具わらない時、速やかな悟りを求めるのではなく、無我の理を思惟観行し、着実に我見を断つことに専念してください。自分自身にも他人にも団体にも大いに利益があります。現代人は煩悩が特に重いですが、それは全て「我」から来ています。我見を徹底的に断てば煩悩は軽くなり、悪業を造る確率も減ります。明心の際に我見を徹底的に断たないと、なおも「我」によって悪業を造りながら自覚せず、むしろ当然のことと思い込んで悪業を造り、善業だと思い込むかもしれません。真に我見を断つ功徳の受用は非常に大きく、これは仏教修行において最も重要な一環です。

——生如法師の開示
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