衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年10月09日    金曜日     第1開示 合計2687開示

意識と意根の業行の区別

意根の業と意識の業の違いを区別するなら、その業が意根の心行に合致するのか、それとも意識の心行に合致するのかを見なければなりません。一般的に、意識によって造られる業行はすべて意根に合致するものです。なぜなら、意根が意識に働きかけて業を造らせるからです。意識が造る業は意根が造る業であり、意根が意識に業を造らせて初めて意識は業を造ることができ、意根が意識に業を造らせなければ、業を造ることはできません。これは一般的な場合です。

もう一つ別の情況があります。意識の力が非常に強く、意根をねじ伏せ、意根に意識の考えに従って主となって業行を造るよう強制し、意根は意識の意志に従って取捨選択せざるを得なくなります。この時、意根が主となって造る業は意識の心行に合致します。意識がこの事柄の道理を理路整然と分析し、理由が非常に十分であれば、意根をねじ伏せてしまうのです。この時、意根の力は意識ほど強くないため、意根は意識の心に従って決定を下します。表面的には意根が主となっていますが、実際には意識が主となっています。身口意の行が意識の心行に合致する場合、その業は意識が主となって造った業です。もし意根が完全に意識に説得され支配され、意識が「これで良い」と言えば、意根が完全に同意・賛同するなら、この時、意根が六識を指揮して造る業は、意根と意識が共同で造った業に属します。

もし意根の力が意識よりも強く、意識の観点、意見、見解に意根が同意しないなら、意根は必ず自分の心に従って主となって取捨選択し、示される行為は意根自身の習気に合致します。意根が六識に促して造る業行は、意根自身の心行に合致し、この情況は意根が造った業に属します。ここでの段階は何種類にも分かれており、私たちが想像するような表面的な行為ほど単純ではありません。具体的な情況は具体的に分析して対処する必要があります。業行が意識の心行に合致するのか、それとも意根の心行に合致するのかを観察するには、以下のいくつかの側面から分析を始める必要があります。意識と意根の心行が一致しているかを見ます。六識と七識(意根)が同じく善であるか、同じく不善である場合、この時に造られる業行は両者共通の心行に合致します。もし一致しないなら、意根が主となって造った業なのか、それとも意識の心行が主となって造った業なのかを見ます。具体的な情況に基づいて区別しなければなりません。

——生如法師の開示
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