衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年10月18日    日曜日     第1開示 合計2715開示

一切法は心の思いより生ず

一切法は生滅無常で苦にして空なり、一切法は幻の如く化の如し、一切法は夢の如く露の如し、一切法は風の如く影の如し、一切法は泡の如く沫の如し、どのように執し取りしようとも、最後はやはり空、空、空、空のほかは空しかない。それならば閑庭に静かに座し、風雲の起こるを眺め、一切法の来るを見、一切法の去るを見、一切法の起こるを見、一切法の落ちるを見、一切法の生ずるを見、一切法の滅するを見るに如かず。ただし汝の心は一切法と共に生じ一切法と共に滅することなく、一切法と共に来たり一切法と共に去ることなく、いかなる法をも執せず取らず。一切法は一切法であり、汝は汝であり、一切法はもと一切法に非ざるがゆえに、汝は心を空にせねばならない。

娑婆世界において人の在る処には事があり、事があれば非事があり、事事非非は凡夫にとってはもとより正常なことである。もし正常でないと感じ、事事非非があってはならないと思うならば、それはもう凡夫ではない。凡夫は事事非非を見ればそれを事事非非と見るが、心空の人は事事非非を見れば即ち事事非非に非ずと見、あるいは事事非非の生滅変異無常苦空なるを見、あるいは事事非非の幻の如く化の如きを見、あるいは事事非非の影の如く響の如きを見、あるいは事事非非の夢の如く露の如きを見、あるいは事事非非即ち菩提と見、あるいは事事非非即ち道と見、あるいは事事非非即ち真如と見、あるいは事事非非即ち仏性と見る。そうであれば、どこにまだ事事と非非があろうか。どこにまだ禍乱があろうか。

世界はもと太平であるのに、汝の心が太平でなければ、一切法も太平ではなくなる。世界の大乱は汝の心より起こるのだから、汝は世界の大乱に対して責任を負わねばならないが、汝が世界の大乱をかき立ててしまえば、そもそも責任を負いきれない。どうすればよいか。修行せよ!心を滅せよ!心の貪瞋痴を滅し、心の多事を滅し、心の事非を滅し、心上の相を滅し、心の執取を滅せよ。そうすれば、まだ何の事と非とがあろうか。世界は静かではないか。太平ではないか。空ではないか。汝の心を浄めれば、一切法を浄化し、世界を浄化し、衆生を浄化する。これは衆生を度したことにならないか。浄土を成就したことにならないか。これが修行であり、これが修行の結果であり、これが修行の功徳である。他に何を求めようか。何を執しようか。何を取ろうか。

——生如法師の開示
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