衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月23日    金曜日     第1 回の開示 合計2731回の開示

雑阿含経(二九一経)その三

(三)原文:もしも諸々の沙門や婆羅門が、世間の人々が思い念ずる真実正しい色(物質)に対して、常住の想い・不変の想い・安穏の想い・無病の想い・我の想い・我所有の想いを抱いて観るならば、この色に対する愛着が増長する。愛着が増長すれば執着が増長し、執着が増長すれば苦が増長する。苦が増長すれば、生老病死憂悲悩苦から解脱することができず、私は彼らが苦から解脱しないと説く。

釈:仏は説かれた。沙門や婆羅門が世間の人々が憶念する精妙純粋な色声香味触法(六境)に対して、常住・不変・安穏・無病・我・我所有という認識を起こすなら、色受想行識(五蘊)への貪愛が増長すると。貪愛が増長すれば執着が増し、執着が増せば苦が増大し、苦が増大すれば生老病死憂悲悩苦から解脱できず、彼らは苦から解脱しないと私は説く。

恒常とは永遠に変わらず滅びないこと、安穏とは固定して永遠不変であること、無病とは過患がないことを意味する。衆生が六根六塵六識を過患あるものと見ず、我あるが如く、我の所有と見做せば、追求し貪愛し執着するようになり、こうして生老病死の輪転は断たれない。もしこれらの法が過患を有し、生老病死憂悲苦悩を生じさせることを知れば、もはやこれらの法を追求しなくなる。

これらの想いがあれば色への愛着は増長し、ますます貪るようになる。貪愛が増長するほど生老病死は絶えず、苦悩は多くなる。この貪愛が増長すれば執取も増大し、三界の存在も必然的に増長する。三界の存在が増長すれば生命は続き、苦は絶えず増大する。貪愛が深まるほど苦は増し、増長するほど生老病死憂悲悩苦から解脱できなくなる。衆生は皆楽を求めるが、結果的に苦を受ける。衆生が常に苦の因を作り続けるからである。貪愛あれば苦あり。阿羅漢は貪愛なく執着もない故に、もはや生老病死の苦はない。

——生如法師の開示
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