(四)原文:譬えば、道端の清涼なる池水の如し。香味具足せり。或人が毒を中に著す。陽春の月、諸の行路の者、風熱に渴き逼められ、競いて飲まんと欲す。或人言葉す、「士夫よ、此は清涼の池なり。色香味具足せり。然れども中に毒有り。汝等飲むこと勿れ。若し飲まば、或いは汝をして死せしめ、或いは死に近き苦しみを受けしめん」。而るに彼の渴く者は信ぜずして飲む。美味を得たりと雖も、須臾にして或いは死し、或いは死に近き苦しみを受く。斯の如く沙門婆羅門は、世間に於ける可念端正の色を見て、常なる見、恒なる見、安穏なる見、無病なる見、我及び我所の見を作す。乃至生老病死憂悲悩苦より解脱することを得ず。
釈:仏は譬えて曰く、譬えば道端に清涼なる池有り、池水は香味具足せり。若し毒を池水の中に置かば、春の暖かなる時節に、諸の行路の者は炎熱に因り甚だしく渇き、此の水を飲まんと欲す。飲まんとする時、傍らに人有りて告げん、「此の清涼池水は色香味具足せりと雖も、然れども中に毒有り。汝等飲むこと勿れ。若し飲まば死すべく、死せずとも重き病苦を受くべし」。然るに渇く者は渇き甚だしきが故に信ぜずして飲む。水を飲む時は清涼美味なりと雖も、飲み終えて毒発すれば、或いは直ちに死し、或いは苦しみて死に近し。此の如き状況と同様に、沙門婆羅門は世間の愛すべき端正の色相を見て、恒常不滅の如く、安穏不変の如く、過患無き如く、我及び我が所有の如く執着す。此の知見に因り、生老病死憂悲悩苦より解脱することを得ず。
原文:若し諸の沙門婆羅門、世間に於ける可念端正の色を、病の如く、癰の如く、刺の如く、殺の如く観察し、無常・苦・空・非我と知らば、彼の愛は即ち離る。愛離るる故に取離る。取離るる故に苦離る。苦離るる故に生老病死憂悲悩苦離る。譬えば道端の清涼池水の如し。香味具足せり。或人が毒を中に著す。陽春の月、諸の行路の者風熱に渇き逼められ、競いて飲まんと欲す。或人言葉す「此の水に毒有り。汝等飲むこと勿れ。若し飲まば、或いは汝をして死せしめ、或いは死に近き苦しみを受けしめん」。彼は即ち念う「此の水は毒有り。若し飲まば、或いは我をして死せしめ、或いは死に近き苦しみを受けしめん。我且く渇きを忍び、乾せる麨飯を食らいて、水を取って飲まず」。
釈:若し沙門・婆羅門が世間の可念端正の色相を見て、此等の色相を病患の如く、癰の如く、芒刺の如く、殺戮の如く観察し、悉く無常・苦・空・無我なることを知らば、貪愛は離る。貪愛離るる故に執取離る。執取離るる故に苦離る。苦離るる故に生老病死憂悲悩苦離る。譬えば道端の清涼池水、香味具足せり。或人が毒を水の中に入る。行路の者渇きて水を飲まんとする時、他者「此の水に毒有り、飲むこと勿れ。若し飲まば直ちに死すか、或いは死の如き苦しみを受くべし」と告ぐ。水を飲まんとする者は「此の水は毒を含む、飲むべからず。飲めば必ず害を受く」と了知し、無明を断じて暫く渇きを忍び、乾きし炒め飯のみを食らいて水を飲まず。是の如くして諸の行路者は離れ去り、毒水を飲まざる故に中毒死すること無し。
我等は今後、心に銘記すべし:再び毒水を飲むこと勿れ。一念の貪愛生起すれば即ち自らに告げん「我は再び貪愛すべからず、再び毒水を飲むべからず」と。一物を好めば即ち自らに告げん「我は再び好むべからず、好めば即ち毒水を飲むが如し」と。一も捨て難き時は即ち自らに告げん「我は再び執着すべからず、執着すれば即ち毒水を飲むが如し」と。漸く此の貪愛薄れ、遂には滅尽す。苦は終に無く、斯くの如く一点一点に警醒し、最終的に我等は解脱の道を歩むことを得ん。
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