(一)原文:その時、世尊は諸比丘に告げたまわく「如何にして思量し観察すれば、苦を正しく尽くし、究竟の苦の辺際に至るべきか。時に、衆生の所有する衆苦の種々なる差別を思量せよ。此の諸苦は何を因とし、何を集とし、何より生じ、何の触れより生ずるかを思量せよ。即ち取を因とし、取を集とし、取より生じ、取の触れより生ずることを思量せよ。若し彼の取が滅びて余すところ無くば、衆苦もまた滅す。彼の乗ずる苦滅の道跡を如実に知り、彼に向かう次第の法を修行せよ。これを比丘の正しく苦を尽くし、究竟の苦の辺際に至るものと名づく。所謂、取の滅びなり」
釈:世尊は諸比丘に、如何にして苦を完全に滅尽し究竟の苦の果てに至るかを思量観察すべきかを説かれた。この時、衆生のすべての苦とその種々なる相違を思量し、これらの苦がどの因縁によって現れ、いかなる法の集起によって感召され、何を原因として生じ、いかなる法の触れによって生ずるかを考察すべきである。
これはつまり、取が苦を生じさせる原因であり、取の集起が苦を引き起こし、取の発生が苦を生み出し、取の触れが苦を生ずることを思量するのである。もしそれらの取が残らず滅び去れば、一切の苦は滅する。比丘たちは苦を滅する修行の方法を如実に了知し、正しく苦を尽くす助道法と次第の法に向かって修行すべきである。かくして比丘たちは正しく苦を尽くす方向に向かい、究竟の苦の果てに至ることができる。これこそが取を滅ぼす方法である。
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