いかなる者でも、四禅八定を修めれば、煩悩と性障を効果的に降伏させ、見道の障害は極めて少なくなり、三十七道品の大半を修めることができます。ただ見道に対する正しい知見が不足し、やや欠けるところがあります。もし善根と福德が具わり、正しい知見に遇って疑いなく信受できれば、智慧に遮られるものはなく、直ちに見道する可能性があります。仏在世の時、多くの外道が仏の説法を聞き、その場で法眼浄を得て三果や四果の人となり、また初果や二果を得た者もいました。
禅定の功徳は何にあるのでしょうか。意根の散乱と攀縁を降伏させ、六識もまたそれに従って降伏し、もはや四方に分別し造作することがなくなることにあります。こうして心は常に一処に専念し、思量性が強まり、智慧が開発されます。外道と共通の四禅八定を具足した上で仏法を思惟すれば、証悟は比較的容易になります。故に定は、一切の法を証得するための必要不可欠な条件の一つであり、最も重要な直接的条件でもあります。
智慧は静中の極静において生まれます。心を沈澱させれば清浄となり、清浄から智慧が生じます。濁水は志を乱し情を傷つけます。禅定を修めずに証果明心を望むことは、絶対に不可能なことであり、得られるのは泡沫のような果実で実用価値がなく、長く観れば破滅するでしょう。
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