(四)復次に、比丘は苦を正しく尽くし、究竟の苦の辺際に至ることを思量し観察す。時に、彼の触は何を因とし、何を集とし、何より生じ、何によって触れるかを思量すべし。当に知るべし、彼の触は六入処を因とし、六入処を集とし、六入処より生じ、六入処によって触るると。彼の六入処が滅して余すところなければ、則ち触も滅す。彼の乗ずる六入処滅の道跡を如実に知り、彼に向かう次法を修習す。これを比丘が正しく苦を尽くさんと向い、究竟の苦の辺際に至ると名づく。
釈:仏はまた示し給う。復次に、比丘は苦を正しく尽くし究竟の苦の辺際に至ることを思量観察すべく、さらに触がどの因縁法によって現れ、いかなる法の集起によって生じ、いかなる法の出生によって引き起こされ、いかなる法の触発によって生ずるかを観察すべし。この時、触は六入処の因縁によって現れ、六入処の集起によって生じ、六入処の発生によって触が現れ、六入処の接触によって触が生ずることを知るべし。六入処が残りなく滅尽すれば触も滅す。比丘らは自ら修習する六入処滅尽の軌跡を如実に了知し、正しく苦を尽くさんとする向道法と次法を修習す。これを比丘が正しく苦を尽くさんと向い、究竟の苦の辺際に至り得ると説く。
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