(二)原文:かくの如く法を説きたまえども、かの比丘はなお疑惑と迷いを抱き、先に得たるを得たる想い、獲たるを獲たる想い、証したるを証したる想いありて、今法を聞き已り、心に憂苦と悔恨を生じ、蒙昧なる障碍に陥れり。所以は何ぞや。この甚深なる法、いわゆる縁起は、さらに倍して甚深にして見難く、いわゆる一切の執着を離れ、愛の尽きたる無欲、寂滅涅槃なるが故なり。
釈:世尊はこれほど多くの法を説きたまえども、かの比丘はなお疑惑と迷いを抱き、先に法眼浄を得たと想い、解脱を獲たると想い、証果したると想いしが、実は未だ証果も解脱も得ざりき。今世尊が十二因縁の法を説きたまうを聞き、心に憂苦と悔恨を生じ、迷妄の障碍を生ぜり。何故かくの如きや。十二因縁の法は先に修学した四聖諦の理よりさらに甚深にして証し難く、十二因縁の法を修し終われば、遂に一切の三界法への執着を離れ、三界への貪愛を尽くし、貪欲を断じ尽くして寂滅涅槃を得るが故なり。
原文:この二法を有為無為と謂う。有為は生じ、住し、異なり、滅す。無為は生ぜず、住せず、異ならず、滅せず。これを比丘が諸行の苦、寂滅涅槃と名づく。因の集まる故に苦集まり、因の滅する故に苦滅す。諸々の径路を断ち、相続を滅ぼす。相続の滅びたるは苦の辺際と名づく。比丘よ、彼の何を滅ぼすや。余有の苦を謂う。彼の滅び止むとき、清涼し息み没す。いわゆる一切の執着の滅び、愛の尽きたる無欲、寂滅涅槃なり。仏この経を説き已り、諸比丘仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。
釈:仏曰く、十二因縁には有為と無為の二法が関わる。有為法は生住異滅の現象あるも、無為法には生住異滅の現象なし。比丘が涅槃に至らざる前は有為にして、全ての五蘊の行苦の滅びたる後、涅槃無為を得る。諸行苦の因が集まれば苦は集まり、因が滅すれば苦は滅ぶ。生死への径路を断ち切り、生死相続を断つ。相続の滅びたるは苦の辺際と名づく。
比丘よ、阿羅漢らは何を滅ぼしたるや。無明煩悩を断じたる余の苦を滅ぼせり。彼らが一切の行を滅ぼし止めば、清涼なる息止みを得て没す。これすなわち一切の執着心行を滅ぼし、貪愛を永尽し、再び貪欲なく、寂滅涅槃の楽を得るなり。仏この経を説き終わりたまいし後、比丘ら仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。
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