(一)原文:その時、世尊は諸比丘に告げられた。愚かで教えを聞かない凡夫は無明に覆われ、愛縁によって繋がれ、この識身を得る。内にこの識身があり、外に名色がある。この二つの因縁によって触が生じる。この六触入処によって触れられ、愚かで教えを聞かない凡夫は苦楽の受覚を生じ、それによって種々のことが起こる。六つとは何か。眼触入処、耳・鼻・舌・身、意触入処である。
釈:世尊は比丘たちに説かれた。無明の覆いと愛着の縁によって六識身に縛られた凡夫は、内に六識身を持ち、外に名色の五陰を有する。内外の六入が和合して触を生じ、六つの触入処において触れた後、凡夫は苦楽の受覚を生起させる。この受覚を因として貪愛や執着が引き起こされ、生死が相続する。六触入処とは眼触入処・耳触入処・鼻触入処・舌触入処・身触入処・意触入処を指す。
衆生の心は無明に覆われているが、もし無明を除けば心は光明を放ち、一切の道理が明らかとなる。仏の心には覆いがなく、光明は十方法界を照らす。凡夫は愛縁に縛られて六識身を有し、これが名色と触れ合うことで苦楽捨受を生じる。
衆生は無始以来の貪愛によって六識身を得る。六識が内識たる所以は勝義根において生起するためであり、名色が外身たる所以は外入として勝義根に入り六識と触れ合うためである。触れ合いがなければ六識は滅し、一切の活動も止滅する。ここに十二因縁の連鎖が明らかとなり、五陰身の活動が理解できる。身口意の行いが止まぬ限り六識は現起し続け、識心が滅せぬ故に来世の因となる。
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