衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年11月06日    金曜日     第2開示 合計2767開示

煩悩と病気はすべて心が幻化したものである

よくよく思惟すれば、私たちの心識の虚妄性、世間の一切の法の生滅する幻のような虚妄性を観察すれば、内心は攀縁(よりどころを求める心)を減らし、妄想や雑念が少なくなり、世人の精神的疾病は減少し、神経衰弱や不眠は軽くなり、さまざまな病症は減少するでしょう。疾病はどこから来るのか?一つは過去世の業行による報いであり、一つは現世の煩悩や妄想から生じるものです。衆生はみな自分で自分に苦しみを与えているのです。道理が通じれば、心に煩悩はなく、道理が通じなければ、煩悩は重く、苦しみは限りなく、すべて自分で招いたものであり、他者が与えたものではありません。すべての疾病は虚妄であり、幻化したもので、来たる所もなく、疾病が滅しても、滅した所もありません。なぜなら虚幻だからです。これらの道理を通じ尽くせば、百の病を治すことができ、生理医師も心理医師もすべて不要となり、すべての病障は幻生幻滅するのです。仏法が一通れば、万法すべて通じます。仏法をよく学べば、一切の世間法はすべて通じるのです。

世間の人の身体の疾病、心理の疾病、家庭内の一切の煩悩、仕事や事業の煩悩、このようなすべては、自分の無明の業障に纏われた結果です。仏法を学んでいない人はこれらの道理が通じず、仏法を学んだ人でもまだよく理解しておらず、深細な思惟と観行を行わないために、自分の無明に覆われてしまっているのです。本当に世間の真理を理解しようと思うなら、まず自分自身を理解しなければならず、そうすれば万法はすべて通じるのです。だから世間法が通じないのは、心に結縛があるからであり、解くべきは自分の心の結び目であって、外の境界ではありません。

私たちは外の色塵がそんなに煩わしく、わざわざ自分の心を擾すのだと不満に思ってはいけません。自分の心がなぜ外の色に引き寄せられ、外の色に捕らえられてしまうのかを反省すべきです。なぜ私たちは境界に執着しなければならないのか。境界が私たちを束縛し、執着させようとしているのでしょうか?そうではありません。自分の心がそれを捉えようとしたり、排斥しようとしたりするからであり、その結果、境界に捕らわれてしまうのです。私たちは本来、境界を捉えようとしたのに、逆に境界に捕らえられてしまったのです。五欲六塵が私たちを生生世世にわたって束縛し、六道輪廻の中に縛り付け、この煩悩の生死の大海に縛り付けているのです。

——生如法師の開示
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雑阿含経(二九四)の二

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