(一)原文:その時、世尊は諸比丘に告げたまわく「我今、因縁法及び縁生法を説かん。いずれを因縁法と為すや。これ有るを以て彼有ることを謂う。無明を縁として行あり、行を縁として識あり、乃至かくの如く純大苦聚を集める。いずれを縁生法と為すや。無明・行を謂う。仏の世に出ずるも、未だ世に出でざるも、この法は常住なり。法は法界に住す。彼如来は自ら覚知し、等正覚を成じ、人の為に演説し、開示顕発す。無明を縁として行有り、乃至生を縁として老死有り。仏の世に出ずるも、未だ世に出でざるも、この法は常住なり。法は法界に住す」。
釈:世尊は諸比丘に告げたまわく「我今、因縁法と縁生法とを説かん。何を因縁法と為すや。これ有るを以て彼有る、即ち無明を縁として意根の行あり、行を縁として六識あり、六識を縁として名色あり、名色を縁として六入あり、六入を縁として触あり、触を縁として受あり、受を縁として愛あり、愛を縁として取あり、取を縁として有あり、有を縁として生あり、生を縁として老病死憂悲苦悩あり、乃至かくの如き純大苦聚を集むるなり。
何を縁生法と為すや。無明を縁として意根の行あり、行を縁として六識あり、六識を縁として名色あり、名色を縁として六入あり、六入を縁として触あり、触を縁として受あり、受を縁として愛あり、愛を縁として取あり、取を縁として有あり、有を縁として生あり、生を縁として老病死憂悲苦悩あるを謂う。仏の世に出ずるも未だ出でざるも、これらの理法は世間に常住し、この法は本来の法界に住す。この法に依って修行成就した如来は、皆自ら覚り自ら証して等正覚となり、後に処々に人々に演説し、因縁法縁生法を開示顕発す。即ち無明を縁として行あり、行を縁として六識あり、乃至生を縁として老病死憂悲苦悩あり、かくの如き純大苦聚を謂う。仏の世に出ずるも出でざるも、この理法は常に世間に存し、因縁法は法界に常住す。
因縁法は実相法にあらず、生滅の仮法なり。阿頼耶識より来たり、阿頼耶識なければ因縁法なく、生死なく、純大苦聚なし。十二因縁法の示す真理はただ世間の真理にして、出世間の究竟なる真理にあらず。この真理は一つの仮象なり。ただ阿頼耶識この理こそ最も真実に存在す。一切の法は阿頼耶識に依って有り、世俗相の法は皆仮なり。仏の説く四聖諦もまた真理なり。この真理は表相の真理にして、究竟の真理は阿頼耶識なり。阿頼耶識なければ四聖諦なく、十二因縁もなし。これらも真理と称すれど、ただ世俗法上の真理なり。
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