衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月16日    月曜日     第2 回の開示 合計2794回の開示

夢中と覚醒時における業造りの区別

夢の中と現実の違いは、夢には外相分がなく何も変化しないのに対し、現実には外相分の変化があり、他者を利益する行為や害する行為という実質的な事象が発生することです。したがって、夢の中で業を造っても実質的で具体的な果報はなく、現実で業を造れば実質的で具体的な果報が生じます。これ以外の点では、夢も現実も同様に虚妄不実なものです。

夢の中で千円を布施したとしても、実質的な金銭が施されることもなければ、実質的な人物がその金銭を受け取ることもありません。従って実際には真の布施行為は存在せず、ただ布施の心行が存在し、他者に寛容である心行が存在し、物惜しみしない心行が存在するのみです。これが意根の心行です。夢の中で意根の心行が善であることは、その人の心性が真に善であることを示し、善心は福を生じ、福報と善報をもたらします。心の善さの程度に応じて福の大きさが決まり、果報の大きさも定まります。夢の中で布施することは、意根の心性が善であることを示し、性善には善報があり、死後は善道に趣き、意根の心性に相応する場所に生まれ生活します。善には善の福があり、これが心性の善報です。意根の心性が悪であれば福報を損ない、意根の心性に相応する悪所で報いを受けることになります。これが善悪の因果応報です。

現実で千円を布施する場合、実質的な金銭が施され、実質的な人物がその金銭を受け取り、更に布施の行為が加わります。この三つが具足すれば、果報も具足して受けられます。将来少なくとも千百倍の財の還元があり、相応する福徳が生じ、善報と福報を得ます。もし意根が心性の善悪によって六識に善悪の業行を造作させた場合、心性の果報に加えて業行の業報が生じます。業報は非常に具体的な果報であり、寸分の違いもなく必ず業果を償うことになります。

夢の中で人を殺す行為と覚醒時に人を殺す行為の違いも同様の理屈です。夢の中には実質的な被害者も殺害行為も存在しませんが、殺害の心行があります。その果報は主に心行に基づき、心性が悪不善であるため福徳を損ない、心性に相応する悪所に転生し、悪不善の果報を受けます。現実の殺人には実質的な事象があるため、殺人の業果を償い、将来悪心不善の心性による果報を受けます。例えば戒を受けた後に破戒行為があれば、心性上の罪に加え、業行上の戒罪が生じ、両方を併せて報いを受けます。戒を受けていない者が悪業不善業を造作した場合、戒罪はないものの心性の悪による罪が残り、依然として悪果報があります。悪事を行えば、戒の有無に関わらず悪報を受けますが、戒は自心に対する一定の抑制力を持ち、修行にとってより有利です。

意根は衆生の根本心性を表し、意識は粉飾や偽装が可能ですが、意根はそれができず、虚偽を弄することがなく、自らの心性を絶対的に真実に表現します。夢の中では意根が絶対的に主導権を握り、意識の作用は極めて微弱で、意根を制御する働きはほとんど及ばないため、夢の中では偽りや装いができず、意根の心性が最も真実の姿を現します。

——生如法師の開示
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