八つの識における五つの遍行心所法には、すべて「想」が存在します。この「想」とは、識心の了別作用、思惟作用、取着作用を指し、欲望や願望、希望を表すもので、衆生の思想活動のほぼ半分を占め、識心が判断を下し決定を行う根拠と原動力となります。
五識における「想」は比較的単純で直接的であり、五塵を了別し分別する作用に過ぎず、その取着性は強くも明らかでもなく、すべて意根の推進と調節の下で行われます。意根の推進がなければ、五識の「想」は存在しません。意識の「想」は内包が豊かで比較的顕著であり、思惟はより複雑です。一部に自主性を持ちつつも、受動的な側面も大きく、その自主性は意根の思想意志や観念に大きく反することはできません。さもなければ意根は制止し、思考を継続させず、また意根の情緒不安定を招き心理的問題を引き起こします。六識の「想」は五蘊中の想蘊に帰属し、諸法種を蘊集する作用を持ち、生滅変異し自主性がありません。
意根の「想」は了別分別性を持つだけでなく、主に執取の作用を持ちます。意根が諸法を執取するが故に、諸法は絶えず生じ滅し、生滅変異が止むことがありません。意根の執取性は十二因縁中の「取」に帰属し、意根の「取」によって後世の「有」と生死が生じます。したがって意根の「想」は諸法の生起と滅尽に極めて重要な役割を果たします。広義において、意根も諸法を蘊集する作用を持ち、主要な役割を担うため、五蘊中の想蘊に帰属すべきです。
第八識の「想」は比較的単純で、ただ了別分別作用のみを行い、非常に迅速です。決して深く考え悩むことなく、見る法をそのまま知り、思惟や推量、推理などの思想活動を必要としません。七識とは全く異なり、第八識には無明がなく、その慧は特に強く、ほとんど自動化されたプログラムのような了別作用で、中間に停滞や停止がなく、一切の法を心に留めません。第八識の「想」によって、第八識は諸法及び種子に対する選択を行い、諸法は途切れることなく運行を続け、此れ生じて彼れ滅し、彼れ生じて此れ滅する秩序ある運行を、寸分の乱れもなく維持します。衆生が世間を非常に混乱していると感じるのは、業が必然的にそうなるよう決定しているためです。七識と五蘊世間がどれほど乱れても、第八識の運行は乱れません。よって第八識の「想」は五蘊世間に対し決定的な蘊集作用を持ち、広義においても想蘊の範疇に属します。
0
+1