菩薩は悟りを開いた有情であり、自利利他を実践する。もし衆生を度さないならば、それは阿罗汉であり、菩薩ではない。
菩薩が衆生を度すことには二つの意義がある。一つは自らの福徳を培い、もう一つは智慧を増長させることである。最も重要なのは、菩薩が仏道を成就する過程において、絶えず増え続ける衆生と縁を結ぶことで、無量無辺の様々な段階の弟子を得て、未来に仏国土を建立できるようになることである。
菩薩が仏となるためには、仏国土を建立する際に無数の各段階の弟子たちの擁護と協力が必要であり、それによって無量の衆生を広く救済できる。弟子がいなければ孤立無援となり、仏国土を建立することもできない。また、自らの道業の向上も弟子たちに依存している。ちょうどピラミッドのように、自らが頂点であるならば、土台がなければ頂点は存在し得ない。これはつまり衆生を度すことが即ち自らを度すことであり、菩薩は無条件に衆生を度さなければ仏となることができない。逆に言えば、自らの道業の向上も善知識や諸仏菩薩の引き立てと助力なくしては成し得ず、真の善知識と縁を結ぶことも極めて重要である。
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