衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年12月01日    土曜日     第1 回の開示 合計1057回の開示

意根慧心所の作用

我見を断つとは、意根が五蘊の実在性を否定することであり、悟りを開いて心を明らかにするとは、意根が如来蔵の実在性を認めることである。いずれの証得も最終的には意根の作用によるものである。では、我見を断つ時と悟りによって心を明らかにする時、意根において作用しているのは慧なのか、それとも思量性なのか。

我見を断ち明心見性する過程において、意根の思量性と慧心所の両方が共に作用している。意根には了別性・識別性・認知性・択択性・作主性・攀縁性・執着性が具わるため、慧心所の作用が生起する。慧がなければこれらの機能作用は存在し得ない。ただし、この慧の機能は特殊で、広範かつ普遍的な性質を持ち、専一深入することができず、了別も具体的・微細には至らない。六塵の境界における法は、六識の協力を得て了別され、意根が独自の了別・判断・択択を行う。ここにも慧心所の作用が関与しており、慧心所の了別慧がなければ、意根は識性を失い根性のみとなるが、本来意根は両者を兼ね備えている。

意根の思量性は、意根の運行に普遍的に随伴する。意根が存在する限り、思量性も刹那刹那に運行を続ける。意根が刹那ごとに思量し、刹那ごとに択択し、刹那ごとに作主するからこそ、一切法は刹那刹那に現起して断滅せず、さもなければ一切法は断絶不連続となる。意根が所縁を持ち、一切法に作意し接触する限り、意根の思量性は一切法の上に現行し、一切法を運行存続させる。意根の思量性が不断に作用して初めて、意根の慧心所も運行する。意根が一切法に普遍存在するが故に、意根の五遍行心所法も一切法の運行に遍在し、これが意根の智慧生起の前提条件となる。他の識心における五遍行心所法もまた同様である。

よって我見を断ち明心証悟する過程において、意根の思量性は常に運行を続ける。思量の過程は意根の智慧性を体現し、智慧の程度が異なれば、思量の過程・内容・結果も異なり、得られる結論も択択も異なり、六識の造作と功徳受用も異なる。意根が五蘊を思量する際に小乗の空の智慧を具えるからこそ、五蘊が空・無我であることを認識し我見を断つに至る。また意根が第八識を思量する際に大乗の法の智慧を具えるからこそ、第八識の実在性を認識し実相智慧が生起する。意根の思量性と了別慧は相互に補佐調和して運行し、一方が欠ければ一切法の正常な運行は成り立たない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

疑念の力はなぜ大きいのでしょうか

次の記事 次の記事

実修実証とは何ですか

ページのトップへ戻る