一切の法を真であり有であると認めると、すなわち一切の法に縛られ、遂に生死があり、解脱を得ることができない。それゆえ、常にあらゆる処において一切の法の生滅変異の無常性と空性 (śūnyatā) を観察すべきである。法を観察すればするほど深く細やかになり、法の現起と滅去は、来るもなく去るもなく、所従来より来ることも所へ去ることもなく、主宰もなく、空であると、ますます感じられるようになる。解脱の智慧はますます深まり、解脱者もまた存在しない。一方で世間・出世間の有為法を造作しつつ、一方で有為法の空と無為を感受し、心は有を廃せず、また空に執着せず、既に空にして既に有、空ならず有ならず、有に非ず有ならざるに非ず、空に非ず空ならざるに非ず、断滅と常、一と異とに堕することなく、輾転して仏道を成就する。
心が空であり法が空であってこそ、初めて次第に世間の煩悩の深淵から脱け出すことができる。心が空であると同時に有をも廃さないことで、初めて次第に仏法の大道に趣向し、解脱の終点へと歩み出すことができる。 心が空と相応したその時すでに、解脱の道の上にいるのである。心が法を空と観ずるほどに、終点に近づき、空と観ずる法が多ければ多いほど解脱し、空の程度が深ければ深いほど解脱する。究竟に空であり、徹底的に空であり、すべてが空となれば、終点に到達する、すなわち究竟涅槃である。我も空、法も空、遅かれ早かれすべて空にしなければならない。早く空にして早く成就することを願い、有を執して諸法を取ることなく、自分を甘やさぬことである。煩悩は遅かれ早かれ捨て去らねばならない。早く捨てれば早く解脱し、遅く捨てれば多く苦を受ける。
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