火界の種子は形も相もない
火界の種子は形も相もなく、如来蔵そのものも形相を有しません。もし形あるものが形なき如来蔵の中に存在するならば、収めることができるでしょうか。第一に収容できず、第二に仮に収容できたとしても、如来蔵は形あるものとなり、目で見て手で触れることが可能になるでしょう。そうなれば如来蔵を証得することは極めて容易になり、誰もが悟りを得た菩薩となることができましょう。如来蔵は袋や器のようなものではなく、形相を持たないため、形ある色身を収めることはできません。しかしながら、如来蔵は色身を顕現させる力を持っているのです。まことに不可思議なことです。この不可思議さは、私たちに智慧が備わっていないからであります。智慧が具足する時、それは可思議となるのです。仏は智慧を具えられ、これを思議することができます。私たちが仏法を学んで大智慧を顕現させた時、最終的には一切の法が可思議となり、何ら問題なく、驚くことも奇怪に思うこともなく、また迷いや倒錯も消え去るのです。
実相を知らないことが迷いであり倒錯であります。万法に執着し貪愛するが故に、生死の苦海に漂い、解脱を得ることができません。万法の真実相を知れば、もはや迷い倒錯することはなく、智慧を得た時には真相を認識し、仮相に執着して倒錯することはなくなるのです。
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