衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月04日    金曜日     第1 回の開示 合計2866回の開示

推敲に秘められた心所法

「推敲」という言葉は、唐代の詩人賈島が詩を作った故事に由来し、もともと賈島が詩作において言葉選びや句の推敲を行う際の思考様式と努力の状態を描写したものである。詩人は適切な言葉を求めるため、絶えず心中で言葉を探し求め、その詩が表現しようとする意境を顕現させようとする。身体と精神を同時に調和させて推敲を重ねる。最初は意識による推敲・尋伺から始まり、次第に意根による推敲・尋伺へと移行する。意根の推敲・尋伺は極めて細密かつ隠微であるため、意識はあたかも動かず思考が停止したかの如く、禅を参ずるがごとくなる。

賈島が言葉を推敲する際、どのような心所法が現れたか。五遍行心所法、五別境心所法、あるいは善心所法と煩悩心所法も現れたかもしれない。推敲時にはまず推敲の対象となる法に対して作意心所法が生起し、心を推敲すべき法へと導く。触心所法が現れて心が推敲の法に触れ、受心所法が現れて推敲の法を受容し領納し、想心所法が生起して推敲の法を認識し執着し、思心所法が現れて絶えずこの法を思量し、最終的に通達・確定するに至って後続の行為に移行する。

手で推す動作と敲く動作を比喩的に行う際には、更に五識と五俱意識の五遍行心所法が現れる。作意の際には心の作用が比較的集中し、意識と意根が対応する法に集中するため、受心所法の出現は他の時よりも少なく、脳裏では思考問題が巡らされている。推敲の過程で特に意根が敏感に反応する情景に触れた場合、受心所法が生じることがある。この受は心の触動と感受であって、外界の六塵の変化による感受ではない。受心所法は本来「受け入れる」「領受する」という意味を有する。問題を受け入れ領納しなければ、続けてこの問題を思考することができず、従って思の結果も生じず、択択や後の造作もなく、まして智慧の生起もない。

想と思の過程には、常に定心所法が伴う。また勝解心所法も存在し、勝解とは法の大要を正しく理解した状態、すなわちおおよその意味を把握し、思考の対象となった法に対して比較的合理的な解答・見解・観念・結論を導き出せる状態を指す。推敲過程には欲心所法・念心所法・定心所法も現れる。欲心所法は推敲しようとする欲求であり、第六・第七識を駆動して推敲を行わせ言葉を選び句を構築させる。勝解後に語義に対して念心所法が形成され、推敲に専注する状態が定心所の功徳である。

——生如法師の開示
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